八木豊信
八木 豊信(やぎ とよのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。但馬国の国人八木氏の当主。八木城主。
凡例 八木豊信 | |
|---|---|
| 時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
| 生誕 | 不明 |
| 死没 | 不明 |
| 主君 | 山名祐豊、羽柴秀吉 |
| 氏族 | 八木氏 |
略歴
島津家久右筆
その後、天正年間中に島津氏を頼り、島津家久の右筆として仕えた[1]。島津氏の史料『本藩人物誌』には、日下部氏系八木氏の子孫である八木正信の嫡子とあるが、若桜鬼ヶ城時代と島津臣下時代で花押の一致が確認されている。
豊信の曾祖父八木宗頼は、室町時代の歌壇で活躍した有名な歌人であり、公家の一条兼良らとも親交を持っていた。豊信の詠んだ和歌も「都城八木家文書」に残されており、天正3年5月に島津家久が京都参加した連歌会には豊信の弟八木隠岐守が連座している。豊信自身も津田宗及の茶会に参加するなど公家や文化人との親交があり、そのような教養、交流の広さから家久に登用されたと見られる。家久が伊勢神宮参詣の旅の帰途に但馬・因幡を訪問して豊信と面識があったという。
脚注
- 但馬国人八木豊信の教養と島津家久 室長コラム(その25):母校での「ふるさと調べ」 鳥取県立公文書館 『第31回県史だより』 2008年10月
参考資料
- 歴史群像編集部編『戦国時代人物事典』(学習研究社、2009年) ISBN 4054042902
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