内々神社
由緒
創建年代については不詳であるが、延喜式に記載された式内社である。
東国の平定を終えた日本武尊が内津峠に差し掛かった時、早馬で駆けてきた従者の久米八腹(くめのやはら)から副将軍である建稲種命が駿河の海で水死したとの報告を受けた。それを聞いた日本武尊は「ああ現哉々々(うつつかな)」と嘆き、その霊を祀ったのが内々神社の始まりという。
庭園
神社内の看板には、日本初の作庭家ともいわれる臨済宗の禅僧・夢窓疎石の作庭と伝わると表記されているが、庭園の形式は池泉鑑賞式・廻遊式林泉型の蓬莱庭園[1]。庭園研究者の重森三玲や澤田天瑞は江戸初期としている。
ギャラリー
境内
庭園
社殿
紅葉
内々神社の隣にある妙見寺
所在地
- 愛知県春日井市内津町24
脚注
- 岡田憲久「内々神社庭園現況調査に関する報告」『名古屋造形大学紀要』第16巻、名古屋造形大学、2010年3月、63-73頁、ISSN 2185-0208、NAID 110007989805。
- “内々神社社殿本殿”. 愛知県. 2013年4月19日閲覧。
- “内々神社庭園”. 愛知県. 2013年4月19日閲覧。
- “市指定文化財一覧”. 春日井市 (2011年4月1日). 2013年4月19日閲覧。
参考文献
- 『尾張名所図会』 第三巻 内内神社、1844年
関連項目
- 妙見寺 (春日井市) - 旧別当寺
- 馬蹄石 - 安祥寺 (春日井市)のすぐ北横、春日井市立西尾小学校付近にある岩盤。東国遠征の帰路で、内津峠に入った日本武尊が、早馬で駆けてきた従者の久米八腹から、東国遠征の帰路で水死した建稲種命の事を聞き「ああ現哉々々(うつつかな)」と嘆いた。そして現在の「西尾」の地まで来た、日本武尊が建稲種命の霊を祭った内津の方を振り返り、馬の尾が西を向いたので「西尾」の地名が付いたとされ、その時、馬の蹄の跡が付いた岩盤が「馬蹄石」、または「駒返り」として伝われている。
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