前波景定
前波 景定(まえば かげさだ)は、戦国時代の武将。朝倉氏の重臣。
凡例 前波景定 | |
|---|---|
| 時代 | 戦国時代 |
| 生誕 | 不明 |
| 死没 | 永禄6年(1563年)[1] |
| 別名 | 左衛門五郎、藤右衛門尉 |
| 主君 | 朝倉孝景→義景 |
| 氏族 | 前波氏 |
| 父母 | 父:前波吉当[2] |
| 子 | 景当、吉継(桂田長俊) |
略歴
朝倉景連、小泉長利、河合吉統らと共に一乗谷奉行人を務めた[1]。天文年間(天文8年、1539年)頃?から主に奉行人として足利義晴への奏者を務めるなど、評定衆として家中で重きを成した。また、奉行人を務める傍ら、たびたび合戦に出陣したらしく、奉行人連署状に花押の代わりに「在陣」と記したものが残っている。永禄5年(1562年)12月の奉行人連署状を最後に名が消え、一旦、前波氏自体の名が奉行人から見られなくなった後、永禄8年(1565年)から嫡子・景当が連署状に名を連ねるため、この間に没したと推測される。
脚注
- 山本 大、『戦国大名家臣団事典 西国編』、新人物往来社(1981)
- 景定の前代に藤右衛門尉を称していることからの推定。参考文献「越前朝倉氏の研究」p.312-315など。
- 朝倉氏の根本被官の多くが実名に「吉」を使っており、「景」は朝倉一族である同名衆と同じ家格を与えられたことを意味する。前波氏の庶流は前波吉継のようにその後も「吉」を使っている。参考文献「越前朝倉氏の研究」p.309-312など。
出典
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