加藤三郎 (野球)
生涯
旧制岐阜市立岐阜商業学校時代は、1935年(昭和10年)の第12回選抜中等学校野球大会と1936年(昭和11年)の第22回全国中等学校優勝野球大会で松井栄造とバッテリーを組み優勝している[1][2]。
明治大学に進学し活躍していたが、学徒出陣。特別攻撃隊員として散華した。大学の先輩である藤本英雄は戦後、嶋清一と加藤を「ぼくの知っている野球選手で、このふたりは今度の戦争で失ったのが最も悔やまれる」と記している[3]。
脚注
- “甲子園を沸かせたもう一人の松井がいた(739回): 蛭間豊章記者の「Baseball inside」”. weblog.hochi.co.jp. 2022年5月5日閲覧。
- “教育×WASEDA ONLINE”. yab.yomiuri.co.jp. 2022年5月5日閲覧。
- 山本暢俊『嶋清一 戦火に散った伝説の左腕』彩流社、2007年。p.186
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.