勿部将軍功徳記
概要
『口部将軍功徳記』という造像石刻の欠損した「口」文字は「勿」という字だと解釈されている。銘文により、「勿部将軍」、すなわち勿部珣という人物が神龍二年(706年)に親族のために造った[1]。
勿部珣は『唐大詔令集』巻百三十に収録する「命姚崇等北伐制」に記され、出身が不明であるが、「本枝東海」「内子楽浪郡夫人黒歯氏」などの銘文によって百済出身者とみられる[1]。
脚注
- 葛継勇『『祢軍墓誌』についての覚書 : 附録 ; 唐代百済人関連石刻の釈文』専修大学社会知性開発研究センター〈専修大学社会知性開発研究センター東アジア世界史研究センター年報 6〉、2012年3月8日、169頁。
- “순장군공덕기(珣將軍功德記)”. 聯合ニュース. (2006年11月17日). オリジナルの2022年2月9日時点におけるアーカイブ。
- “순장군 공덕기 (珣將軍 功德記)”. 国史編纂委員会. オリジナルの2022年10月19日時点におけるアーカイブ。
関連項目
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