北島検校
経歴・人物
京都の生まれ。幼年期より盲目となり、八橋検校から箏曲を学ぶ。これにより、1645年(正保2年)に今井検校から検校に認定される。
その後、当時播磨の姫路藩主で大名でもあった松平直矩に北島が作曲した三味線の組歌を演奏した事がきっかけで後に弟子となる生田検校に箏曲を学ばせた。これが生田流が創始される出来事である。また、死去する一年前の1689年(元禄2年)には当時最高位であった第34代職検校となり、一躍有名となった。
死後も北島が創始した筝曲の技法は後の検校の基盤となり、多くの筝曲家に影響を与えた。
主な弟子
- 生田検校
- 牧野検校
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