十菱愛彦
生涯
兵庫県神戸市出身。日本大学専門部宗教科中退。アテネ・フランセに学び、倉田百三の知遇を得た。1921年処女戯曲「離婚への道」、次いで書き下ろし「愛の路は寂し」で認められた。牧野信一らと十日会を結成、「黒猫」「黒猫座」を主宰した。
その後小説「第二の処女期」、1925年の「処女の門」が発禁となり「闇に咲く」と改題して出版。他に戯曲「小栗上野の死」など。
戦災後、占星学を研究、日本聖星学研究所長となった[1]。
著書
脚注
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