千野冝時
経歴・人物
東京府(現在の東京都)の生まれ[1][2]。慶應義塾大学卒業後[1]、1946年(昭和21年)に大和証券に入社した[1][2]。この頃に早くも国際業務に専念し[1]、同社の理論家として有名となる[1]。その後は副社長を務め1980年(昭和55年)には副会長となり[1][2]、1982年(昭和57年)には会長職を務め以後1991年(平成3年)までその職にあたった[1][2]。
会長に就任後は理論株価(PER(株価収益率)×予想EPS(1株あたり当期純利益))を日本で初導入する事業やユーロ円債の第1号の発行に携わる等[1]、証券市場の国際化に貢献する[1]。1985年(昭和60年)には日本証券業協会の会長に就任し1987年(昭和62年)まで大和証券会長と兼務で務めた[1][2]。
脚注
- “千野冝時”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2023年8月26日閲覧。
- 「千野ヨシ時氏死去/元大和証券会長|全国ニュース」『四国新聞』、2004-8‐25。2023年8月26日閲覧。
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