半井成近

半井 成近(なからい なりちか[1])は、江戸時代初期の医師。4代半井驢庵[1]、法名は瑞寿[1]。徳川幕府で奥医師の長である典薬頭を務めた[1]

 
凡例
半井成近
時代 江戸時代前期
生誕 生年不詳[1]
死没 寛永16年10月9日(1639年11月4日)[1]
別名 勝麿[2][注釈 1](通称[1])、驢庵[1]、瑞寿(法名)[1]
戒名 法雲院仁室瑞寿大居士[4]
墓所 大徳寺真珠庵[2]
官位 従五位下 出羽守[2][注釈 2]
幕府 江戸幕府
氏族 半井家
父母 父:半井利親[2] 母:藤堂高虎の娘[2]
横浜一庵の娘[2]
成忠(5代驢庵)、瑞春、女子(清水瑞室の妻)、杏庵[5]

生涯

驢庵半井瑞寿館阯之碑(神奈川県海老名市)

半井驢庵家に生まれる。父の利親(瑞玄)は慶長8年(1603年)に25歳で没した[2]。母は藤堂高虎の娘[2]

寛永元年(1624年)10月、江戸に召し出されて徳川家光に仕えた[2]。この年、祖父の半井成信(3代驢庵、瑞桂)は通仙院を号し、剃髪した成近に驢庵の号を譲った[2]。寛永5年(1628年)には家光の疱瘡や瘧疾[注釈 3]に対して調薬を行った[2]。寛永7年(1630年)には幕府からの執奏により、朝廷から素絹の着用を許された[2]

寛永8年(1631年)の年頭には奥医師の筆頭として拝謁した[2]。寛永9年(1632年)10月27日、相模国高座郡で1000石の知行を与えられた[2]

寛永10年(1633年)5月21日には将軍の命により、小田原藩稲葉正勝の病気を診察するために小田原に派遣される[2]。寛永14年(1637年)、家光の病気の診察にあたる[2]。同年、家蔵の『聖済総録』に欠本があったため、幕府所蔵本から写本を行って補うことを願い出、全200冊を整えた[2]

その後、家光の勘気を被り[2]、一時期奥医師から外された[1]。寛永15年(1638年)9月17日に赦免されて職務に復帰した[2]

成近は江戸来住後も隔年で京都に赴き、朝廷に奉仕した[3]。寛永16年(1639年)3月11日、家光の命を受けて京都に派遣されて、「御咳気」を患った東福門院の治療にあたった[2]。同年6月9日には、久志本常尹と交互に朝廷に勤仕するよう命じられた[2]

同年6月15日、祖父の遺領[注釈 4]であった山城国愛宕郡内の500石[注釈 5]も合わせ、合計1500石を知行した[2]。しかし同年10月9日に京都で没した[2]

驢庵屋敷

江戸屋敷

寛永元年(1624年)に幕府に召し出された際、成近(驢庵)の屋敷は元吉原(中央区日本橋人形町付近)に設けられた[3]。なお、驢庵の江戸屋敷は子の半井成忠(5代驢庵)の時代に明暦の大火で焼失し、小川町(千代田区神田小川町)・表猿楽町(千代田区神田猿楽町)に移転した[3]

相模国の下屋敷

有馬のハルニレ

知行地の相模国高座郡本郷村(恩馬本郷村とも[3]。現在の神奈川県海老名市本郷)には下屋敷が設けられ[3]、「驢庵屋敷」の名で伝えられた[8]。付近には「驢庵坂」などの地名が残る[9]。1936年に「驢庵半井瑞寿館阯之碑」が建碑されている[8][注釈 6]

同地には成近が植えたとされるハルニレの木が現存する(有馬のハルニレ[9]

家族・親族

『寛政重修諸家譜』によれば、以下の子女がいる[5]

  • 長男:半井成忠(5代驢庵)
  • 二男:半井瑞春
  • 女子 - 清水瑞室(亀庵)の妻。のち清水亀庵家が断絶したため、半井家に帰る。
  • 三男:半井杏庵

母は藤堂高虎の娘、妻は横浜一庵(正勝)の娘[2][3]。「半井家先祖書」によれば、横浜一庵の正室は藤堂高虎の養女であり[11]、半井家・藤堂家・横浜家は重縁関係にある[11][注釈 7]。成近の母(藤堂高虎の娘)は一庵が開基となった泉涌寺照善院に葬られた[13]

脚注

注釈

  1. 石野は「勝丸」を幼名とする[3]
  2. 「半井家先祖書」によれば、従四位下・侍従・典薬頭・左兵衛督・出羽守という[3]
  3. 間欠的に発熱と悪寒を繰り返す病。マラリアなどとされる[6]
  4. 祖父の成信(瑞桂)は、寛永15年(1638年)4月11日(一説に寛永11年(1634年)4月11日)に死去した[2]
  5. 大原郷5か村[7]。家伝によれば「桓武天皇の時代」からの相伝の領地という[2]
  6. 1936年、驢庵屋敷跡のある有馬村(当時)を「同姓」の神奈川県知事・半井清が訪れたことを契機として、地元で史跡整備の機運が高まった[8]。半井清は岡山県出身の衆議院議員・福井三郎の子であるが、絶家となっていた半井家を再興したという[10]
  7. 『寛政譜』の藤堂高虎の譜には、半井家・横浜家に嫁いだ娘・養女の記載がない[12]

出典

  1. 半井成近”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2023年7月19日閲覧。
  2. 『寛政重修諸家譜』巻第六百七十九「半井」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.611
  3. 石野瑛 1937b, p. 322.
  4. 石野瑛 1937b, pp. 322–323.
  5. 『寛政重修諸家譜』巻第六百七十九「半井」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』pp.611-612
  6. ”. デジタル大辞泉. 2023年8月7日閲覧。
  7. 石野瑛 1937b, p. 318.
  8. 石野瑛 1937b, p. 316.
  9. えびな歴史めぐり【3】海老名の武将 〜半井驢庵〜”. タウンニュース 海老名・座間・綾瀬版 (2019年12月20日). 2023年7月19日閲覧。
  10. 『人事興信録 第12版(昭和14年) 下』p.ナ172
  11. 石野瑛 1937b, p. 323.
  12. 『寛政重修諸家譜』巻第九百「藤堂」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第五輯』p.714
  13. 石野瑛 1937b, p. 324.

参考文献

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