卍楼北鵞
来歴
姓は三田、通称は小三郎、家号は虎屋と伝わり、京橋や本所常盤町に住んだという。卍楼と号す。喜多村信節の随筆『きゝのまにまに 続篇』の安政3年の項に「五月廿一日 画師万楼北鵞没、葛飾北斎戴斗門生」とあり、これにより葛飾北斎の門人だったこと、没年月日は安政3年5月21日であるのが知られる。画風も北斎そのままとの評がある。ただし「北鵞」とは同じく北斎の門人である抱亭五清の画号だったことから、五清の門人かともいわれている。作画期は天保から安政にかけてで、錦絵のほか摺物、狂歌絵本の挿絵、肉筆画を残す。
作品
参考文献
関連項目
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.