金忠
金忠(김충)または南敏(남민)は、中国唐の文官であり、日本に使者として派遣された帰りに台風に遭遇し遭難した後新羅に帰化する。元々の名は金忠であるが、中国の汝南出身であるため、汝南の南という文字を姓として景徳王から与えられた。南敏の息子の南翼は、太子詹事として英陽君に封ぜられた。南敏の子孫は代々官職、特に武臣を輩出した。朝鮮の氏族の英陽南氏、宜寧南氏と固城南氏の始祖である[1]。
| 金忠 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 김충 |
| 漢字: | 金忠 |
| 日本語読み: | きん・ちゅう |
脚注
- “(53)의령 남씨(宜寧南氏)-150,394명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年9月11日). 2022年8月16日閲覧。
参考文献
- “남민(南敏)”. 韓国学中央研究院. オリジナルの2022年9月17日時点におけるアーカイブ。
- 金光林 (2014年). “A Comparison of the Korean and Japanese Approaches to Foreign Family Names” (英語) (PDF). Journal of cultural interaction in East Asia (東アジア文化交渉学会): p. 19. オリジナルの2016年3月27日時点におけるアーカイブ。
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