古川城 (飛騨国)

古川城(ふるかわじょう)は、岐阜県飛騨市にあった日本の城平山城)。国の史跡に指定されている(史跡「姉小路氏城跡」のうち)[1][2]

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古川城
岐阜県
別名 飛騨古川城、蛤城(蛤石があったことによる)
城郭構造 平山城
天守構造 不明
築城主 古川氏(姉小路氏の抗争で分裂した姉小路氏の一団)、金森氏
築城年 不明
主な改修者 金森可重
主な城主 古川氏牛丸氏塩屋秋貞金森可重
廃城年 1531年1586年
遺構 石垣天守台
指定文化財 国の史跡「古川城跡」
(「姉小路氏城跡」のうち)
位置 北緯36度13分24.5秒 東経137度10分55.3秒
地図
古川城の位置(岐阜県内)
古川城
古川城

概要

古川国府盆地から、荒城川を隔てた山に位置していた。古川氏や、牛丸氏、その敵対する姉小路(三木)氏塩屋筑前守などの城となり、最終的には金森氏の城となった。

歴史

姉小路氏は、代々飛騨国司家とされた。だが、室町幕府から代々派遣されていた飛騨守護である京極氏に敗れ、一族も小島城を本拠とする小島家宗家)・古川城を本拠とする古川家(古川氏)・向小島城小鷹利城を本拠とする向家(向氏、向小島氏とも)に分裂した。その後、古川家の古川(姉小路)基綱済継親子が小島家を圧倒して宗家の地位を奪うが、息子の秀綱に先立たれた済継が死亡すると、古川氏は断絶状態となる。これを利用した京極氏の家臣・三木良頼が古川家の名跡継承を朝廷に認めさせ、古川城を領した。これが戦国大名姉小路氏である。なお、没落した小島氏も小島時光の代に三木(姉小路)頼綱息子養子に迎えて臣従した。

その後、戦乱で牛丸氏に渡った後、放棄された城に、永禄7年(1564年)に武田家重臣山県昌景から逃れた上杉家家臣塩屋秋貞が入った。しかし、秋貞は謙信死後に織田信長に仕え、信長死後に討死した。

天正13年(1585年)、第二代金森家当主金森可重は、養父である金森家初代金森長近と共に飛騨平定戦で活躍し、戦国大名姉小路(三木)氏を滅ぼすと、従五位下・出雲守に任官し、飛騨国古川城1万石の城主となり、古川城に入る。

天正14年(1586年)に宮川対岸の平城である増島城が完成すると、可重は古川城から移って城主となったため、古川城は廃城となる。

1959年(昭和34年)11月16日に岐阜県指定史跡に指定され[3]、2024年(令和6年)2月21日に国の史跡に指定された(史跡「姉小路氏城跡」のうち)。

脚注

  1. 文化審議会の答申(史跡名勝天然記念物の指定等)について(文化庁報道発表 、2023年10月20日)。
  2. 令和6年2月21日文部科学省告示第12号
  3. 「古川城跡」(岐阜県公式HP)

関連項目

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