河野孔明

河野 孔明(こうの こうめい、1905年10月1日[1] - 没年不明)は、日本右翼活動家(東方会[2]・新東方会 総裁)、政治ゴロ政治運動家(台湾守護会[3]会長、中華民国支援日本委員会常任理事)、総会屋

こうの こうめい

河野孔明
生誕 1905年10月1日
日本の旗 宮崎県児湯郡
死没 不明
職業 政治運動家右翼活動家
団体 新東方会、台湾守護会
政党 新東方会(或いは東方会)
国民政治連合
無所属

略歴

宮崎県児湯郡出身。公職追放解除直後の1952年から選挙闘争に着手し、当初は保守政党からの立候補を模索した。地元の宮崎では高い知名度を誇り、共産党の公認・推薦候補を得票数で度々上回るなど、参議院議員通常選挙全国区でも健闘を続けた。しかし、1970年以降の東京都知事選挙参議院議員通常選挙の全国区では、並み居る諸派候補の中に埋没して上位進出は果たせなかった。長く伸ばした顎鬚がトレードマークで、選挙のスローガンは「日本一 公明選挙の 河野孔明」であった。

概ね一人一党の政治団体『新東方会』或いは無所属での立候補だったが、1976年の第9回参議院議員補欠選挙(宮崎県選挙区)では、同郷の有田正憲が率いる『国民政治連合』から出馬している。

1975年東京都知事選挙に同時に立候補した秋山祐徳太子によると、政見放送選挙公報立会演説会以外の活動は行わず、選挙期間中のみ有効の交通機関無料パスで東京見物をするのを楽しみに、毎回上京していたという。

晩年は『台湾守護会』を名乗り、幟を立てた自転車を駆って蔣介石への報恩を訴えていた。

主な選挙歴

国政選挙

年月選挙選挙区定数政党得票当落得票率順位肩書
1952年10月1日第25回衆議院議員総選挙旧宮崎県第1区3無所属10,316落選4.07%8/10日南拓殖協会会長
1953年4月24日第3回参議院議員通常選挙全国区53無所属65,281落選0.22%150/234日南拓殖協会会長
1955年2月27日第27回衆議院議員総選挙旧宮崎県第1区3東方会13,960落選5.42%8/12日本拓殖協会会長
1956年7月8日第4回参議院議員通常選挙宮崎県選挙区1東方会29,538落選6.79%4/6政党役員
1958年5月22日第28回衆議院議員総選挙旧宮崎県第1区3新東方会9,077落選3.15%8/11協会役員
1959年6月2日第5回参議院議員通常選挙全国区52無所属75,296落選0.24%86/122日本拓殖協会会長
1961年12月10日第5回参議院議員補欠選挙宮崎県選挙区1無所属39,892落選0.24%3/4日本拓殖協会会長
1962年7月1日第6回参議院議員通常選挙全国区51新東方会47,499落選0.12%83/107日本拓殖協会会長
1963年11月21日第30回衆議院議員総選挙旧宮崎県第2区3無所属7,575落選3.15%4/5日本拓殖協会会長
1968年7月7日第8回参議院議員通常選挙宮崎県選挙区1無所属18,685落選3.78%4/5神職
1972年12月10日第33回衆議院議員総選挙旧宮崎県第2区3無所属679落選0.30%6/6中華民国支援日本委員会常任理事
1976年12月12日第10回参議院議員補欠選挙宮崎県選挙区1国民政治連合8,452落選1.70%5/5協会会長
1979年10月7日第35回衆議院議員総選挙旧宮崎県第1区3無所属1,624落選0.44%7/9台湾守護会会長
1980年6月22日第12回参議院議員通常選挙全国区50無所属28,339落選0.44%74/93台湾守護会会長

首長選挙 他

選挙政党得票当落得票率順位肩書
1951年4月30日宮崎県知事選挙無所属19,252落選3.92%5/5無職
1958年宮崎県議会議員選挙日向市選出)無所属1,975落選12.1%3/3団体役員
1959年4月23日宮崎県知事選挙無所属35,821落選6.70%3/4日本拓殖協会会長
1963年4月17日東京都知事選挙新東方会3,913落選0.02%12/13日本拓殖協会会長
1965年日向市長選挙無所属356落選1.92%3/3日本拓殖協会会長
1971年4月11日宮崎県知事選挙無所属20,530落選3.69%3/3日向観光開発協会会長
1975年4月13日東京都知事選挙新東方会754落選0.13%12/16台湾守護会会長
1977年日向市長選挙無所属259落選0.56%3/3日向観光開発協会会長
1979年4月8日宮崎県知事選挙無所属3,829落選0.58%6/6台湾守護会会長
1979年8月5日宮崎県知事選挙無所属9,061落選2.51%5/6無職
1981年日向市長選挙無所属167落選0.55%3/3台湾守護会会長

註訳

  1. 『参議院議員通常選挙結果調 1974 昭和49年7月7日執行』大阪府選挙管理委員会、1974年、63頁。
  2. 中野正剛東方会との関係は不明
  3. 『台湾を守る会』とも

外部リンク

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