名倉淑子
名倉 淑子(なくら よしこ、1945年〈昭和20年〉9月7日 - 2018年〈平成30年〉11月6日)は、日本のヴァイオリニスト。東京クヮルテット創立メンバー。 水戸室内管弦楽団、及びサイトウ・キネン・オーケストラ団員、フェリス女学院大学音楽学部名誉教授、 桐朋学園大学講師。本名は岡田淑子(おかだ よしこ)[1]。夫はビオラ奏者の岡田伸夫[1][2]。
| 名倉 淑子 | |
|---|---|
| 生誕 | 1945年9月7日 |
| 出身地 |
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| 死没 | 2018年11月6日(73歳没) |
| 学歴 | 桐朋学園大学 |
| ジャンル | クラシック音楽 |
| 職業 | ヴァイオリニスト |
| 担当楽器 | ヴァイオリン |
経歴
新潟県出身。桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学音楽学部にて、斉藤秀雄らに師事。共に首席で卒業した[2]。
ジュリアード音楽院に留学し、在学中の1969年に、桐朋学園時代の仲間達と、東京クヮルテットを結成[2]。ジュリアード弦楽四重奏団に教えを受け、1970年、ミュンヘン国際コンクール弦楽四重奏部門、アメリカのコールマン・コンクールで優勝。これにより世界から注目を浴び、東京クヮルテットのメンバーとして世界各地を演奏旅行を敢行し、数々の国際フェスティバルに出演、ドイツグラモフォンでのレコーディング等で活躍した。 1974年、東京クヮルテットを脱退し、ベルギーに移るも、1年でアメリカに戻り、ソリストとして本格的な活動を開始した。
1977年よりドイツのハンブルクに居を移し、ハンブルク・コンセルバトワールで後進の指導に当たった[2]。1981年よりバンベルク交響楽団のゲストコンサートマスターに就任。同時にバンベルグ弦楽五重奏団のメンバーとしても活躍した[2]。
1988年(平成10年)帰国。神奈川県茅ヶ崎市に住み、母校の桐朋学園大学で非常勤講師を務めた[2]。2000年(平成12年)よりフェリス女学院大学で、特任教授として指導にあたった[2][3]。一方で演奏者としても、ヨーロッパで活躍する音楽家達で結成されたニッポン・オクテットのメンバーとして、また、 水戸室内管弦楽団、及びサイトウ・キネン・オーケストラのメンバーとして活躍した[2]。2014年(平成26年)からは、藤沢市みらい創造財団の主催による音楽会「藤沢にゆかりのある音楽家たち」に出演した[2]。
2018年(平成30年)11月6日、胃癌により満73歳で死去した[1]。同月11月12日には、桐朋の門下生を率いて「弦楽アンサンブル ルーチェ」の演奏会を予定しており、病床でも指を動かして出演を望んでいたという[2]。
評価
2013年(平成25年)の浜離宮朝日ホールでのリサイタルで、ライブ録音でCDが作られた際には、解説者より「いつもさらりと自然体」と評された[2]。また演奏の一方で、フェリス女学院大学での教育は、「外国語インテンシブ・コース」にてドイツ語やイタリア語を学ぶことができることから、学生たちより「外国語をきちんと学べて素晴らしい」と好評であった[2]。
脚注
- 「バイオリニストの名倉淑子さん死去」『産経新聞』産業経済新聞社、2018年11月14日。2020年2月9日閲覧。
- 江刺昭子、かながわ女性史研究会編著『時代を拓いた女たち』 第III集、神奈川新聞社、2019年7月26日、150-151頁。ISBN 978-4-87645-597-3。
- 青木日出男 (2013年9月24日). “ヴァイオリニスト名倉淑子さん&フェリス ストリング アンサンブル―フェリス女学院大学での教育活動”. Webアッコルド. 2020年2月29日閲覧。