周孟簡
生涯
1404年(永楽2年)、従兄の周述とともに進士に及第した。永楽帝が手ずから二人に策問し、二人そろって翰林院編修に任じられた。1405年(永楽3年)1月[1]、解縉が永楽帝の命を受けて曾棨ら28人を選抜し、文淵閣に読書させると、孟簡は周述とともにこれに選ばれた。
孟簡は翰林院にあること20年、詹事府丞に転じ、襄王府長史として出向した。1431年1月(宣徳5年閏12月)、死去した[2]。享年は54。著書に『竹間集』があった。
脚注
- 談遷『国榷』巻13
- 『国榷』巻21
参考文献
- 『明史』巻152 列伝第40
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