善福寺 (南足柄市)
善福寺(ぜんぷくじ)は、神奈川県南足柄市にあり、浄土真宗本願寺派(西本願寺)に属する。親鸞常随の高弟である関東六老僧の一人、平塚入道了源(伊東四郎祐光)の創建。
| 善福寺 | |
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| 所在地 | 神奈川県南足柄市怒田153 |
| 位置 | 北緯35度19分36.4秒 東経139度6分21.7秒 |
| 山号 | 龍頭山[1] |
| 宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
| 創建年 | 延応元年(1239年) |
| 開基 | 平塚入道了源[1] |
| 正式名 | 龍頭山 華水院 善福寺 |
| 公式サイト | 相州西之坊 善福寺 |
| 法人番号 | 5021005006348 |
歴史
寺伝によれば、了源すなわち伊東祐光は伊東祐清の子で、伊東祐親の孫にあたる。また、曽我兄弟とは従兄弟の関係になる。元仁2年(1225年)に伊東一族を弔うために出家した祐光は、法求房と称して天台宗鶏足山高麗寺大権現(大磯町高来神社)の別当職についていた。その後、国府津(勧堂)に滞在していた親鸞と出会い、その門下となった。法名も新たに善念房了源と賜り、念仏の教えを各地に弘めて道場を建立し、延応元年(1239年)には壗下の地(南足柄市壗下公民館)にも草庵を結び、阿弥陀堂を建立した。当初、この阿弥陀堂は七軒門徒が中心に護持をしており、善福寺の本院は大磯山下の地にあったが、本院が小田原北条氏による念仏停止(1506年-1560年)により打ち壊しとなったため、寺基が阿弥陀堂のある壗下に移されるかたちとなったと言う(のちに、大磯の地にも善通寺は再興した)。念仏停止の解除後、北条氏康の帰依により本寺の朱印免状を受け、また、京都本願寺の東西分派に伴い、西本願寺の法灯を守ることとなった。
参考文献
- 「苅野庄 壗下村 善福寺」『大日本地誌大系』 第36巻新編相模国風土記稿1巻之19村里部足柄上郡巻之8、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179198/136。
外部リンク
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