善説
概要
慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いで敗れた石田三成は伊吹山を越えて古橋村の三珠院を訪ね、善説は三成を匿った。しかし、そのことを知った村人は善説に引渡しを求め、三成はやむなく三珠院を退去した[1]。
『近江輿地志略』によれば善説は三成の幼いころの読み書きの師でもあったことから、敗戦後まずこの善説に助けを求めたと伝わる[2]。
参考文献
- 『改正三河後風土記 - 第 3 巻』(秋田書店、1977年、377p)
外部リンク
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