喜久亭寿楽
代外
| 本名 | 倉繁 善太郎 |
|---|---|
| 生年月日 | 1867年3月 |
| 没年月日 | 1909年12月7日 |
| 師匠 | 2代目桂才賀 6代目桂文治 |
| 名跡 | 1.桂才三(不詳) 2.桂文遊(不詳) 3.桂萬治(? - 1888年) 4.桂文團治(1888年 - 1895年) 5.桂大和(1895年 - 1905年) 6.喜久亭寿楽(1905年 - 1909年) |
| 活動期間 | ? - 1909年 |
| 活動内容 | 落語家 |
喜久亭 寿楽(きくてい じゅらく、1867年3月 - 1909年12月7日)は、落語家。
経歴
人物
人情噺、落し噺を得意とした。客受けは今ひとつだったが楽屋での評価は高かったという。『文芸俱楽部』に大和時代の速記『をりづめ』が載っている。
初代
| 初代 | |
| 本名 | |
|---|---|
| 生年月日 | 不詳年 |
| 没年月日 | 不詳年 |
| 師匠 | 初代三笑亭可楽 |
| 弟子 | 2代目喜久亭寿楽 喜久亭寿暁 |
| 名跡 | 1. 喜久亭寿石 2. 初代喜久亭寿楽 |
初代喜久亭 寿楽(生没年不詳)は、落語家。
初代三笑亭可楽の門で寿石から寿楽となった。弟子に2代目を譲り自身は両国で橋西詰で寄席を開いた。これが両国の寄席の元祖となっている。弟子には喜久亭寿暁がいる。本名:
2代目
2代目 喜久亭 寿楽(生没年不詳) - 最初可楽の門で関万と言い、2代目?3代目?関三十郎の色声を使った。
その後初代の寿楽の門に移り2代目を譲られる。『東都噺者師弟系図』にも「二代目」として登場。
3代目
- 3代目 喜久亭(桂、桂治亭とも) 寿楽(生没年不詳) - 「文之助系図」によれば4代目桂文治の門人に文松から寿楽になった人物がいる。この辺りから番付にも名前が出てくる。
4代目
| 四代目 | |
![]() 四代目喜久亭壽楽定紋「丸に花菱」 | |
| 本名 | |
|---|---|
| 生年月日 | 1952年3月13日 |
| 没年月日 | 2008年8月17日(56歳没) |
| 出身地 | |
| 死没地 | |
| 師匠 | 七代目立川談志 五代目鈴々舎馬風 |
| 名跡 | 1. 立川談太 (1969年 - 1975年) 2. 立川小談志 (1975年 - 1992年) 3. 四代目喜久亭寿楽 (1992年 - 2008年) |
| 出囃子 | 菊寿の草摺 |
| 活動期間 | 1969年 - 2008年 |
| 所属 | 落語協会 (1969年 - 1983年) 落語立川流 (1983年 - 1992年) 落語協会 (1992年 - 2008年) |
| 公式サイト | 喜久亭 寿楽 |
四代目 喜久亭 寿楽(1952年3月13日 - 2008年8月17日)は、落語家。本名∶大杉 正伸。神奈川県横浜市出身。なお、落語協会の資料では代数は明記されていない。出囃子は『菊寿の草摺』。
ライオンズクラブ会員であった。これは落語家として珍しい。地域でボランティア活動を日常的に行っていた。
来歴
桐蔭学園高中退後1969年4月12日七月代目立川談志に入門、前座名は談太。
1983年、落語協会真打昇進試験で同じ一門の立川談四樓と共に不合格になったことにより、一門ごと落語協会を脱退し落語立川流に加入。1984年12月、真打(立川流)昇進。1992年11月に立川流を脱退し落語協会に復帰。談志の元弟弟子・五代目鈴々舎馬風門下に移籍し喜久亭寿楽に改名。
出演
- テレビ東京「ワイワイ軍団900」
- テレビ静岡「小談志のテレビでキャッチ」
- アール・エフ・ラジオ日本「小談志の人物スケッチ」
出典
- 「喜久亭寿楽氏死去/落語家」『四国新聞』、2008年8月21日。2023年10月27日閲覧。
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