嘯月庵雲僲
経歴
広島県安芸郡矢野村(現・広島市安芸区矢野)で、造り酒屋の次男として生まれた[1]。11歳の時に広島の里見雲嶺に学ぶ[2][1]。初号は啓迪(けいてき)[2]。後に京都の鈴木松年に学び、嘯月庵雲僲(しょうげつあん うんせん)に改める[2]。深く禅宗に参禅し、僧籍をもつ[2]。25歳の時に大分県の中津に移り住む[1]。30歳の時に耶馬渓に「雲僲窟」と名づけた庵を建て[3]、生涯をかけて耶馬溪を描き続けた[2]。作品に「深耶馬渓錦豊」「羅漢寺白光」(大分市美術館所蔵)[4]や「金鱗玉藻」(広島県立美術館所蔵)[5]、600枚もの「耶馬探勝図」等がある[2]。1972年、中津の自宅で死去した[1]。
出典・脚注
- 渡辺雲僲(その二) 山﨑達夫 2018年7月9日閲覧。
- 渡辺雲僲 耶馬渓風物館耶馬渓アジサイ園 2018年7月9日閲覧。
- 古羅漢の庵、改修 老朽化、規模縮小し休憩場所に 大分合同新聞 2018年7月9日閲覧。
- “大分市美術館所蔵作品画像「羅漢寺白光」「耶馬溪錦豊」”. URARASAN. 2012年9月1日閲覧。
- 金鱗玉藻 文化遺産オンライン 2018年7月9日閲覧。
外部リンク
- 嘯月庵雲僊 - ウェイバックマシン(2013年8月1日アーカイブ分) - 孫が作成している紹介ページ
- 矢野出身の日本画家 渡辺雲僲 - 広島市文化財団
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