國枝忠雄
経歴・人物
高岡高等商業学校を経て[2]、1944年に九州帝国大学社会学科卒業[1]。同年に日本放送協会に入社した[1][2]。しかし、1950年に公職追放を受けたことにより解雇され、1952年に小嶋源作の紹介により、中部日本放送に入社した[2]。
東京支社長、取締役、常務、専務を経て、1975年12月に社長に就任した[1]。1987年6月から副会長に就任し、1989年6月から相談役に就任した[1]。
1980年に藍綬褒章を受章し[3]、1987年に勲二等瑞宝章を受章した[4]。また、1979年にイタリア政府から「共和国有功勲章コンメダトーレ章」を受章し[5]、1982年にオーストリア大使館からオーストリア大栄誉金章を受章し[6]、1985年にフランス政府から国家功労章を受章した[7]。
脚注
- 人事興信所 2009, く36頁.
- シリーズ・放送人インタビュー2011 <第12回>国枝忠雄氏
- 中部日本放送 50年のあゆみ p218
- 中部日本放送 50年のあゆみ p264
- 中部日本放送 50年のあゆみ p214
- 中部日本放送 50年のあゆみ p235
- 中部日本放送 50年のあゆみ p252
- 国枝忠雄氏が死去 中部日本放送元社長2015年 1月17日 日本経済新聞
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