多治比高子
生涯
大同元年(806年)に肥前介に任じられた従五位下多治比氏守の娘[1]で、神野親王(後の嵯峨天皇)に寵愛され、嵯峨天皇即位後の大同4年(809年)に橘嘉智子(のちに皇后)とともに夫人となった[2]。弘仁元年(810年)には従三位に叙せられている[3]。
弘仁6年(815年)には妃となる[4]。妃は内親王のみに許されていた后妃身分で、高子は臣下から妃になった珍しい例である。天長3年(826年)薨去。死後従一位を追贈された。嵯峨天皇との間に子女はいなかった。
参考文献
関連項目
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