夜郎
概要
夜郎の中心地は現在の貴州省赫章県の可楽イ族ミャオ族郷であった。可楽遺址からは多くの夜郎時代の遺跡・遺物が発掘されている。
建国の時期は明らかにされていないが、考古学の研究により戦国時代には存在していたとするのが一般的である。また、夜郎に関する最後の記録は、前漢末期に漢の
『史記』では夜郎は当時の西南地区における最大の国家であり[3]、武帝が南越国討伐に唐蒙を派遣した際、その地で当時蜀郡(現在の四川省)で産出された
河平2年(前27年)、夜郎王・興は反漢の兵を起こすが、漢軍に撃破され興は斬首され、その直後に滅亡したと考えられている。滅亡後は郡県が設置され、宋代に至るまでしばしば夜郎県の名称が登場している。
脚注
関連項目
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