大代古墳
大代古墳(おおしろこふん)は、徳島県鳴門市大津町大代にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている(史跡「鳴門板野古墳群」のうち)[1]。
| 大代古墳 | |
|---|---|
![]() 高松自動車道から望む墳丘 中央に1号墳(左が後円部、右が前方部)、右端に3号墳 | |
| 所在地 | 徳島県鳴門市大津町大代字日開谷 |
| 位置 | 北緯34度10分21.31秒 東経134度34分11.07秒 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 | 墳丘長54m |
| 埋葬施設 | 竪穴式石室、刳抜式舟形石棺 |
| 出土品 | 獣形鏡片、碧玉製勾玉、短甲 |
| 築造時期 | 4世紀末頃 |
| 史跡 | 国の史跡「鳴門板野古墳群」に包含 |
2000年に道路建設に伴う事前調査で古墳であることが確認され、発掘調査されている。
概要
2000年に四国横断自動車道建設に伴う徳島県埋蔵文化財センターによる事前調査により、道路予定地の尾根上に前方後円墳1基と周囲に円墳2基が確認された。前方後円墳(大代古墳)からは竪穴式石室とその内部の刳抜式舟形石棺が発掘されて、多数の遺物が出土した。当初、建設工事は古墳を破壊するオープンカット工法の予定であったが、トンネル工法に変更され、現地保存されることとなった。
墳丘
全長54メートル、後円部南北径約31メートル、同東西径約45メートル、前方部約23メートル、くびれ部幅約18メートル、前方部前面幅約21メートルで墳高は後円部約6.7メートル、前方部で約3.3メートルを測る。前方部、後円部ともに2段築成である。葺石は斜面全体ではなく、裾部を列石状に区画する。和泉砂岩(徳島県からも産出する)を主体とする割石と河原石を併用し、根石に人頭程度の礫石も使用されている。墳丘第1段テラス、前方部頂におい円筒埴輪が確認されており、後円部の各所(墳丘全体が発掘調査された訳ではない)からは円筒埴輪片、朝顔形埴輪片のほか家形埴輪片、盾形埴輪埴輪片、盾形埴輪も出土している。これらは後円部頂に樹立されていたと考えられる。
主体部
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後円部中央に南北を主軸として竪穴式石室が構築されており、石室内部には刳抜式舟形石棺が安置されていた。石室上半は大規模な盗掘を受けており、上部構造は不明である。また石棺の蓋も遺存していなかった。地山を掘り込んで南北約7.4メートル、東西4.5メートルの長方形の墓壙を設け石室を構築している。石室は内法で長さ3.7メートル、北小口幅1.1メートル、南小口幅1.0メートルで北の小口幅がやや広くなっている。すべて結晶片岩を使用しており、壁体は北小口で7段35センチ、南小口で2段10センチの高さで残存していた。石棺は竪穴式石室中央に安置されており、縄突起を含む全長が2.84メートル、内法長2.23メートル、全幅87センチ、内法上端幅66センチ、深さは約42センチ、同内法24センチを測る。刳抜式舟形石棺であり、香川県大川郡に産する火山岩の白色凝灰岩の可能性が強い。石棺の内外全面には水銀朱の塗布が確認され、1部に明瞭に遺存する。被葬者は北向きに埋葬されていたようである。
脚注
- 徳島県の文化財(徳島県ホームページ)の「徳島の文化財一覧」ファイル。
関連項目
- 塚原古墳群 (熊本市)・私市円山古墳 - 同様に、高速道路工事の過程で発見され、古墳の下にトンネルで道路を通すという形で保存されている古墳。
参考文献
- 菅原康夫 幸泉満夫「徳島県大代古墳」『考古学研究 第47巻第3号(通巻187号)』考古学研究会 2000年10月 113頁‐115頁
外部リンク
- 大代古墳トンネル - 土木工学会四国支部
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