大内尚樹
概要
小学生時代にシダ植物採取に夢中になり、中学生で登山に目覚めて山岳会に入会した[1]。27歳で山岳同人・東京心岳会を設立し、そのメンバーで当時誰も手をつけていなかった未知未踏の海谷山塊の大岩壁群を開拓した[1]。懸垂が1回もできないにもかかわらず、海谷山塊に1970年代前半の最高グレードVIにあたる高地岳北壁カールマルクス大フェースを初登するなど、当時を代表するクライマーの一人だった[2]。1999年から中国・四姑娘山周辺に通い、10本以上のルートを初登攀している[1]。
著作
雑誌記事
- 「西国の岩場を訪ねて」『岩と雪』77号1980年
出典
- 森山憲一「来し方行く方 - 第12回 大内尚樹」『山と溪谷』第1068巻、山と溪谷社、2023年9月、89-95頁。
- 山本和幸「再連載vol.9 日本自由登攀史。 - いすとわーる・ど・えすからど・じゃぽね」『freefan』第87巻、日本フリークライミング協会、2023年、25-29頁。
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