大分社
沿革
祭神は大分君稚臣、及び、大分氏の始祖とされる豊門別命(景行天皇の皇子)。稚臣は672年(天武天皇元年)に起きた壬申の乱で功績を挙げた人物で、当社はその死後に武勲を讃えるために創建されたとも言う[1][2]。
当社は初め六坊村(現在の上野ヶ丘)に鎮座したが、869年(貞観11年)に下郡滝尾山神ヶ迫に遷座。中世以降は豊後国守護であった大友氏の崇敬を受け豊後国一宮とされた[1][2]。境内には「康安四年」(1365年)の銘がある大友氏が奉納した石塔が残っている[3]。
しかし、柞原八幡宮が一宮とされるようになると次第に衰微。火災等を経て1657年(明暦3年)に現在地に遷座した。1925年(大正14年)には郷社に列せられている[1][2]。
脚注
- 大分君稚臣を祭る大分社 おおいた百景
- 各駅停車・大分県歴史散歩 ふるさとの駅 (15) 滝尾・中判田 (PDF) 梅木秀徳、大分合同新聞社、2007年6月8日
- 大分市滝尾の史跡巡り(1)大分社 大分県公式動画サイト めじろん放送局
- 国・県・市指定文化財一覧 大分市
- 「121年ぶり建て替え 大分社の神楽殿が完成 」 大分合同新聞、2014年4月22日
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.