大坪直行
来歴

『ヒッチコック・マガジン』1959年8月号(創刊号)の奥付。編集担当として大坪の名も記載されている。
東京生まれ。父は本郷坂下町(現・文京区千駄木3丁目)時代の講談社の向かいで郵便局を営み、野間清治の家に出入りしていた[1]。
早稲田大学大学院在学中、講談社学芸部でアルバイトしたのち、1958年、江戸川乱歩のスカウトで宝石社に入社。雑誌『宝石』の編集に従事し、主に日本人作家を担当する。
1959年6月、宝石社は『Alfred Hitchcock's Mystery Magazine』の日本版である『ヒッチコック・マガジン』を創刊した(8月号)。編集長の中原弓彦の下で同誌の編集にも従事。
詩人としても活動し「若い日本の会」にも参加。のち『宝石』最後の編集長に就任。1964年5月、『宝石』が廃刊。
1965年、光文社は『宝石』の版権を買い取って[2]、同年10月に男性向け月刊総合雑誌として再刊した[3]。大坪は光文社へ入社してそのまま編集長となった。
のち退社して、1972年、石原慎太郎の薦めにより霊友会をスポンサーとする雑誌『いんなあとりっぷ』を創刊。同時に「いんなあとりっぷ社」社長に就任。1990年まで『いんなあとりっぷ』を刊行。
のち経心会(経営と心の会)代表。
脚注
- 『本の雑誌』2008年2月号、p.5
- 森彰英『音羽の杜の遺伝子』リヨン社、2003年、p.108
- 日本ジャーナリスト会議・出版支部編著『目でみる出版ジャーナリズム小史 増補版』高文研、1985年初版、1989年増補版、p.76
参考文献
- 『本の雑誌』2008年2月号(大坪直行ロングインタビュー 聞き手:新保博久)
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.