大島治男

大島 治男(おおしま はるお、1939年5月7日 - )は、広島県出身のサッカー選手。元サッカー日本代表

大島 治男
名前
カタカナ オオシマ ハルオ
ラテン文字 OHSHIMA Haruo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1939-05-07) 1939年5月7日(84歳)
出身地 広島県
身長 161cm
選手情報
ポジション FW
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

来歴

現役時代は、小柄ながら抜群のボールコントロールを持ち合わせた選手[1]

中学からサッカーを初め、広島サッカー御三家であった広島大学附属高校に入学[1][2]鬼武健二高重清純丹羽洋介野村尊敬桑田隆幸らとプレーしている。

高校卒業後、東洋工業(現マツダ)に入社、東洋工業蹴球部(現サンフレッチェ広島)に所属する[1]。1962年の全日本実業団サッカー選手権大会優勝に貢献、1965年にJSLが始まると、初年度には岡光龍三松本育夫、桑田隆幸、桑原楽之中村勤らとともにFWの一員として東洋工業無敗優勝に貢献、1960年代後半の黄金期のメンバーとして活躍した[2]

その活躍から代表に招集され、1959年高橋英辰率いるU-20サッカー日本代表に選ばれAFCユース選手権1959出場し3位入賞[3]1962 FIFAワールドカップ・予選のメンバーに選ばれ、1960年11月7日ソウルで行われた対全韓国戦に出場(Cキャップ)し得点を挙げている。

2016年現在、東広島市にある「東広島四十雀サッカークラブ」に所属する現役のプレーヤーであり、四十雀SCの少年部門である「リトル・ティット」の監督として活躍している[2]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦-天皇杯期間通算
1965東洋20JSL00-
1966東洋20JSL00-
1967東洋20JSL20-
1968東洋JSL00-
1969東洋JSL00-
1970東洋JSL00-
通算日本JSL 20-
総通算 20-

脚注

  1. 『サッカーマガジン』67年5月01日号
  2. 秋風にのってキックオフ スポーツの秋 (PDF). 東広島市 (2004年11月). 2012年5月12日閲覧。
  3. 第55回 高橋英辰(3)第1回アジアユースで銅メダル。暗いサッカーに灯をつけたロクさん”. 賀川サッカーライブラリー. 2012年5月12日閲覧。

参考資料

関連項目


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