大島高精
経歴
大分県佐伯市出身[3]。アメリカに渡り、ヴァンダービルト大学、シカゴ大学、コロンビア大学大学院で学ぶ[2]。帰国後万朝報の記者となり、主筆となる[2][3]。その後、陸海軍の嘱託講師を経て[2]、関東軍、支那派遣軍、北支派遣軍の各司令部の嘱託となる[2][3]。
1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙では郷里の大分1区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて立候補して当選する。翼政会政調陸軍委員となった[3]。戦後、推薦議員のため、公職追放となり[4]、追放解除後も立候補することはなかった。1964年(昭和39年)死去。
著書
脚注
- 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、30頁。
- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』128頁。
- 議会新聞社 編『翼賛議員銘鑑』1943年、85頁。NDLJP:1439721。
- 『朝日新聞』1946年2月10日一面
- 大島 高精 Webcat Plus
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参考文献
- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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