大森海苔問屋街
概要

元禄年間(1688 - 1704年)から昭和37年(1962年)まで海苔養殖が盛んだった[1]。乾し海苔の生産量が増えるに伴って問屋も増えていき、大森は海苔の問屋街となった。
問屋は小売店とは違い、人通りのある場所に店を構える必要はない。立地条件を問題としないので路地裏にも海苔問屋が営業している。
全国海苔問屋協同組合連合会[2]の名簿を見れば大森の海苔問屋は一ヶ所に集中しておらず、町中に海苔問屋が散在している(問屋通りを形成していない)事が解る。
沿革

大森の海苔問屋

大森の海苔問屋は江戸時代から地元で生産された乾し海苔を買い付けて、浅草の問屋や行商人に卸していた。
大正年間(1912 - 1926年)になると乾し海苔を手焼きして販売する海苔問屋が現れる。
昭和37年(1962年)に大森の漁師が漁業権を放棄[7]すると、仕入れ先を千葉県や佐賀県、兵庫県、愛知県などに変更して一次問屋としての業務を続けるだけでなく、積極的に飲食店(寿司屋.蕎麦屋等)、小売店(お茶屋等)、デパート(大規模小売店舗)などに販売する様になった。
海苔発祥

アサクサノリ
海苔の養殖がはじまったのは、東京湾。現在の品川、大森あたりの海岸であるとされる。また、焼き海苔の製造方法は大森の三浦屋田中孫左衛門が創案した[9]。よって、大森は養殖海苔発祥の地と呼ばれる場合がある。
海苔養殖
貞亨4年(1685年)、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉は生類憐れみの令を発布した。それに関連して元禄5年(1692年)には浅草近辺十六丁四方の漁業が禁止された[10]。
江戸の漁師は収入の道を絶たれる前に木更津方面や横浜方面に移住したが、浅草の漁師は移住先に大森を選択した[11]。
アサクサノリは干潟の葦原に自生しているが、人為的に造成された生け簀や桟橋、杭等にも繁茂する海藻である。浅草から移住してきた漁師達は、大森の海はアサクサノリが良く育つ事に着目。試行錯誤を重ねて養殖方法を完成させた。
大森で開発された生産技術は浜名湖、三河湾、和歌浦、気仙沼などに伝えられていった[12]。
海苔抄き

大森海苔のふるさと館にて開催
乾し海苔は養殖されたアサクサノリやスサビノリを細かく刻んでシート状に加工された製品である。この作業を海苔抄き(大森では海苔付け)と呼ぶ[13]。
元和年間(1615 - 1624年)、大森村堀之内の初代野口六郎左衛門[14]は日持ちのしない生海苔を短時間で乾燥させる方法を模索していた。
ある時1600年頃に興った浅草紙[15]の製法で生海苔を抄いてみた[16]。その結果、薄く仕上げる事が可能になり[17]、形状や大きさが揃った商品として販売できる様になった。
海苔養殖に使われた道具は大森海苔のふるさと館(東京都大田区平和の森公園2番2号)で見る事が出来る。
大森海苔問屋街ギャラリー
大森本場乾海苔問屋協同組合]












大田区立.大森海苔のふるさと館
脚注
- 宮下章著 全国海苔問屋協同組合連合会発行『海苔の歴史』166頁「大森ノリの由来」に、品質及び生産量は共に日本一だったと記されている。
- 所在地:東京都中央区日本橋人形町2-35-14
- 宮下章著 全国海苔問屋協同組合連合会発行 『海苔の歴史』 240頁 「大森海苔買い仲間の成立」より引用。大正末期から入札は組合で開催された。
- 大田区発行『大田区史』中巻第6章 諸産業の発展より引用。
- 須佐知行編 海光文庫発行『海苔のこと大森のこと』92頁「埋め立て反対運動と海苔漁業補償」より引用、海苔養殖は漁業権を持たない状態で漁期が終了する4月まで行われていた。
- 古谷充子著 株式会社G.B発行『問屋街さんぽ』94~101頁より引用。
- 昭和39年(1964年)に開催された東京オリンピックのインフラ整備(モノレール建設)のために大森の海を埋め立てる必要があった。
- 大森本場乾海苔問屋協同組合に加盟している海苔問屋は55社(平成28年)。内訳は株式会社34社、有限会社9社、個人経営12社となっている。
- “のりの歴史 | のりを食べよう”. www.temakizushi.com. 2021年2月10日閲覧。
- 宮下章著 全国海苔問屋協同組合連合会発行『海苔の歴史』167頁より引用。
- 宮下章著 全国海苔問屋協同組合連合会発行『海苔の歴史』240頁より引用、東京湾岸地域の言葉が似ているのはこの為。
- 大田区立郷土博物館発行『大田区海苔物語』29~31頁より引用。各地に大森の行商人から指導を受けて海苔養殖を始めた記録が残されている。
- 大田区立郷土博物館発行『大田区海苔物語』54頁より引用、1日に1人当たり250~300枚抄いていた。
- 密乗院(大田区大森中2-17-5)に眠る。墓碑に記された戒名から特別な存在だった事が解かる。延宝9年(1681年)没。
- (財)紙の博物館発行『百万塔』第113号67~95頁「浅草紙の300年」より引用、大森の海苔養殖より早い。
- 西村敏康著 (株)ハーツ&マインズ発行『学校裏から始まった』10~11頁より引用。
- 北村正治著 眺風会発行『浅草海苔私考』98頁には保存性向上を目的としていた事が書かれている。