大谷石

大谷石(おおやいし)は、栃木県宇都宮市北西部の大谷町付近一帯で採掘される軽石凝灰岩石材である[1]。柔らかく加工がしやすいことから、古くから外壁土蔵などの建材として使用されてきた[2]。現在も蔵の壁面などに使われている。

切り出された大谷石

成分・成因と分布

基質は浮石質ガラス・斜長石石英を主とし、少量の黒雲母角閃岩輝石で構成され[2]珪酸第二酸化鉄酸化アルミニウム酸化マンガン石灰酸化マグネシウムカリウムナトリウムなどを含む。日本列島の大半がまだ海中にあった新生代第三紀中新世の前半に、火山噴火して噴出した火山灰砂礫が海水中に沈殿して、それが凝固してできたものとされている[2]

大谷町付近の大谷石の分布は、東西4キロメートル、南北6キロメートルにわたる[3]。2009年度時点で採石場は12か所、出荷量は年2万トン程度、推定埋蔵量は約6億トン[3]。一部で露天掘りも行われているが、地下数十メートルから100メートルを超える地下で切り出す坑内掘りが多い[3]。最盛期の昭和40年代には約120か所の採石場が稼働していた[3]。栃木県には大谷石と類似の石材が多数分布し、それぞれ産地の名を取って長岡石、深岩石、岩舟石、茂木石などと呼ばれている[1]

特徴と用途

大谷石の石塀の表面
宇都宮駅の餃子像

軽くて軟らかいため加工しやすく、さらに耐火性・防湿性に優れている[2]。このため住宅かまど、石防火壁門柱敷石・貼石など)、倉庫、大きな建築物の石垣、斜面の土止め石(擁壁)といった幅広い用途を持つ[2]。耐火性・蓄熱性の高さからパンピザを焼く窯や石釜の構造材としても用いられる[4]。岩盤工学の分野では、扱いやすい素材として実験試料に利用される[5]

産地に近い宇都宮周辺では縄文時代竪穴建物で炉石としての使用が確認されており[2]、石蔵をはじめとした建築物の外壁、鉄道駅プラットホーム、石垣や階段、門柱に大谷石が盛んに利用されている。1932年(昭和7年)に建設されたカトリック松が峰教会宇都宮駅に設置された餃子像などは大谷石でできている。同じく地元にある下野国分寺宇都宮城などの築造にも古くから使われた[1]。愛知県名古屋市の川原田家住宅の擁壁の表面にも大谷石が用いられている[6]多孔質の独特な風合いが広く知られるようになったのは、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが、帝国ホテル旧本館(東京)に用いてからである[2][7]

地下から切り出した直後は水分が多いため青みがかっており、乾燥するにつれ茶色っぽい白色に落ち着く[8]。表面に点在する茶色の斑点は「ミソ」と呼ばれる[2]。ミソの成分は含水量の多い沸石モンモリロン石の粘土鉱物から成る蛋白石鉄塩鉱物を含むとされるが、成分の由来は諸説ある[2]。「ミソ」が大きい荒目より、小さい細目(さいめ)が高級品とされる。風化しやすい大谷石の中でもミソの部分は特に劣化速度が速い[2]

多孔質故に風雨に晒される野外では劣化が早く、第二次世界大戦後はコンクリートに押された。特に民家の外壁に使われた場合、雨や雪を吸水して膨張を繰り返すことで劣化し、黒変、粉末状・板状の剥離を起こす[5]。近年は厚さ2cm程度に薄くスライスする技術が開発されたほか、見た目の美しさが再評価されている。さらに吸湿や消臭、音響効果があることも分かり、住宅や店舗の内装、音楽ホールへの利用が広がっている。

地下空洞の利用と陥没事故

操業を終えた採石場跡に残る広大な地下空洞はワイン日本酒納豆などの貯蔵・熟成に使われているほか、観光・学習施設として大谷資料館が開設されている。非日常的な光景を求めて、映画ロケーション撮影やパーティ、展示会などにも活用されている[9]

一方で、特に古い採石場跡の地表部が陥没する事故も起きている[10]。特に1989年(平成元年)に発生した陥没事故は規模が大きく、採石業者の撤退や観光客の減少を招いた[11]。陥没事故の発生地は大谷石の屑や公共残土で埋め戻されたものの、30年が経過した2019年(平成31年)2月現在も付近の市道は通行止めのままである[12]

年表

大谷資料館内部

採掘

地表から下へ下へと掘り進める「平場掘り」と、立坑から横へ横へと掘り進める「垣根掘り」がある[18]。大谷地域の地層は、利用価値の高い石材の層とミソが多く利用価値の低い層が交互に堆積しているため、明治末期から大正初期に伊豆長岡(現・伊豆の国市)から伝わった垣根掘りは画期的であった[18]

また、露天掘りと坑内掘りの2種類があり、坑内掘りは更に碁盤の目状に掘る「柱房式」と櫛形に掘る「長壁式」に分けられる[19]

手掘り時代

機械化される以前の手掘り時代には、つるはしが切り出しに利用されていた。手掘りによる採掘法では、五十石(5×1×3尺)の大きさの石を一本掘るのに、つるはしを4,000回も振るったとされる。また1人の1日の採掘量は10本ほどだった。このような手掘りによる採掘は、採掘方法が機械化された1960年頃まで行われていた。

機械化後

大谷石発掘の機械化が考えられるようになったのは、1952年からで、機械が大谷全体に普及したのは1960年頃である。機械による採掘法では50石の大きさ(150*300*900mm)の石が1人で1日50本採掘可能である。

運搬

手掘り時代には地下の深い採掘場から背負って運び出していた。石塀に使用される石(50石)1本の重さが70kg程あり、重い石では140kgの石まで1人で1本担ぎ出したとされている。外に運び出された石は馬車や人車(トロッコ)、荷船で遠くまで運ばれた。現在では、地下の深い採石場からはモーター・ウィンチという機械で石が巻き上げられ、トラック貨物列車で全国各地に運び出されている。

エピソード

フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルライト館(旧所在地は東京都千代田区内幸町)の建材として使用されたが、その完成披露宴の当日である1923年9月1日、披露宴の準備の真っ最中に関東大震災に遭遇した。しかし、小規模な損傷を受けたもののほぼ無傷なままで残った。このことを設計者のライトは知り、狂喜したという。

脚注

  1. 清木 2017, pp. 793–794.
  2. 清木 2017, p. 793.
  3. 大谷石”. 宇都宮市公式Webサイト. 2018年3月31日閲覧。
  4. 清木 2017, p. 794.
  5. 清木 2017, p. 796.
  6. 川原田家住宅石垣”. 文化遺産オンライン. 2018年3月31日閲覧。
  7. 大谷石利用の歴史”. 栃木県教育委員会とちぎ ふるさと学習. 2018年3月31日閲覧。
  8. 山南石材店”. 2018年3月31日閲覧。
  9. 「融通無碍 よみがえる大谷石」『日本経済新聞』朝刊2018年3月4日 NIKKEI The STYLE
  10. “【大谷石ルネサンス】採掘跡 安全調査を徹底”. 読売新聞地域ニュース・サイト. (2013年11月4日). オリジナルの2015年4月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150407024248/http://www.yomiuri.co.jp/local/tochigi/feature/CO005267/20131104-OYT8T00116.html
  11. 清木 2017, p. 794, 797.
  12. 大谷の陥没事故から30年 採取場跡地を観測し対策 観光客は増加、用途も拡大【動画】”. 下野新聞 (2019年2月10日). 2019年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月13日閲覧。
  13. 「とちぎの百様大図鑑」栃木県 2016年3月 P44
  14. 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、123頁。ISBN 9784816922749。
  15. 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』 p.136
  16. 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』 p.162
  17. 「地下迷宮の秘密を探る旅 大谷石文化が息づくまち宇都宮」が日本遺産に認定されました”. 宇都宮ブランド. 宇都宮市教育委員会事務局文化課文化財保護グループ. 2020年10月23日閲覧。
  18. 清木 2017, p. 795.
  19. 清木 2017, pp. 795–796.

参考文献

関連項目

外部リンク

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