天野政立
経歴
相模国愛甲郡下荻野(現在の神奈川県厚木市荻野)にあった荻野山中藩の藩医天野俊長の二男として生まれる。兄は俊策。1867年には薩摩藩士による荻野山中陣屋の焼き討ちに遭遇している。
維新後は愛甲郡の書記となり、国会開設運動に取り組み、1882年(明治15年)相愛社を創立し、地租軽減運動を指導した。1885年、大井憲太郎や新井章吾などと共に大阪事件に連座し入獄したが、のち大磯町の助役や平塚町の町長などを務めた。大正6年1月3日死去。享年64歳。墓所は藤沢市の龍口寺。
脚注
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