太清寺
太清寺(たいせいじ)は愛知県春日井市勝川町にある臨済宗妙心寺派の寺院である[1][2]。
| 太清寺 | |
|---|---|
![]() 門 | |
| 所在地 | 愛知県春日井市勝川町2丁目14-3 |
| 位置 | 北緯35度13分22.0秒 東経136度56分56.0秒 |
| 山号 | 龍源山 |
| 宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
| 法人番号 | 4180005008133 |
![]() 太清寺 太清寺 (愛知県) | |
歴史
昔、太清寺は醍醐山龍源寺と呼ばれていた。創建年月は不明である。この地は住古、安食荘の一部で、後の醍醐荘の地であるから真言宗であった[1][2]と推測される。天正12年(1584年)4月、徳川家康は小牧・長久手の戦いに向かう途中に龍源寺内の阿弥陀堂で休憩した[1][2]。さらに、家康は出発の際、阿弥陀堂を焼き払った[3]。その後、寺は荒廃が続き、慶安4年(1651年)名古屋の宝林寺の舊岩和尚が荒廃の事を嘆き、弟子である宗悦に再建させた。さらに、寛文3年(1663年)に寺号を龍源山太清寺と改めた。阿弥陀堂は承応2年(1653年)に再建されたが、天保8年(1837年)に本堂および阿弥陀堂は台風で大破した。その後、嘉永3年(1850年)に本堂が再建され、阿弥陀堂は明治5年(1872年)に再建された。昭和55年(1980年)に国道19号の拡張工事のため、再び太清寺に建設された。
境内
門をくぐると、参道の左には十王堂、左手奥には本堂、奥には薬師堂がある。境内の面積は七反五畝二十歩で坪に換算すると2270坪になる。内訳は薬師堂境内が一反步、寺境内松林が六半歩、寺境内年貢地は五畝二十歩になる[4]。
本堂

本堂
境内奥の左側にある。
エピソード
家康は庄屋長谷川甚助を呼び、この土地の名前を尋ねたところ「勝川村」と申し上げたところ、「出陣の門出に勝川とは縁起のよいことだ」と大変お喜びなった。また、甚助の妻が差し出した牡丹餅を食べようとしたが、箸が1本折れて顔を曇らせた。すると、甚助が「これはまさしく天下は一本に成るの吉兆でございます」と申し上げたところ笑顔となり、牡丹餅を召し上がられ、軍を指揮して勝川を渡り戦場に向かわれた[4]。
所在地
- 〒486-0945:愛知県春日井市勝川町2丁目14-3
脚注
- 春日井市(編) 1981, p. 47.
- 春日井市(編) 1986, p. 261.
- 樋口好古 1976.
- 田口英爾 2002, p. 30.
参考文献
- 春日井市(編) 編『春日井市史』 本文編(再版)、春日井市、1979年。
- 春日井市(編) 編『春日井の寺院』春日井市教育委員会、1981年。
- 春日井市(編) 編『春日井市史』 地区誌編3、春日井市、1986年。
- 田口英爾『龍源山 太清寺小史』太清寺復興三百五十年記念誌発行委員会、2002年。
- 長谷川良市『勝川今昔ものがたり』風媒社、2003年。
- 樋口好古 著、蓬左文庫(編) 編『尾張徇行記』 第3巻 春日井郡之部、愛知県郷土資料刊行会、1976年(原著1822年)。
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