太田垣誠朝
生涯
太田垣通光の子として生まれる。山名氏の配下であり、嘉吉の乱の際に赤松氏の討伐での功績により、播磨国の守護代を命じられたと言う。また、太田垣氏の居城である竹田城の城主に任ぜられたというが、初代城主は太田垣光景となっている為不明である。子は不明(土佐守?)。孫に宗朝[1]。
脚注
- “太田垣氏”. 播磨屋.com. 2023年3月5日閲覧。
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