妙華院
生涯
享和3年(1803年)、遠州掛川城主太田氏の分家5000石の旗本、太田資寧の娘として生まれる。
文政3年(1820年)に西丸御次、翌文政4年(1821年)に中臈となる。
文政5年(1822年)に家慶との間に円常院を出産するが夭折する。その後、文政9年(1826年)に五女・咸姫を出産するがまたも夭折してしまう。同年4月6日に死去。戒名は妙華院香屋清薫大姉。墓所は東京都文京区の伝通院。
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