宇文肱
経歴
宇文韜の子として生まれた。524年、沃野鎮で破六韓抜陵が北魏にそむいて乱を起こし、衛可孤が武川鎮を落とすと、宇文肱は郷里の人々を糾合して衛可孤を斬った。後に戦乱を避けて中山に移ったが、鮮于修礼の虜となった。鮮于修礼は宇文肱の部下を返して一軍を率いさせた。後に定州で敗れて戦没した。
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