宇文莫槐
生涯
宇文部は彼の代から活動年代が判明する。
太康10年(289年)、当時既に遼東・遼西地方においては段部と並んで強盛であり、慕容部の大人慕容廆とはかねてより対立し合っていた。その為、しばしば慕容部へ攻め入っては、侵攻略奪を繰り返していた。慕容廆は身を低くして贈り物を厚くし、融和を図ったという。
元康3年(293年)、宇文莫槐は民を虐げていた事から、部族の民に殺害された。死後、弟の宇文普撥が位を継いだ。
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