安斗智徳
安斗 智徳(あと の ちとこ)は、飛鳥時代の人物。氏は阿刀とも書く。姓は連[1]、後に宿禰。位階は従五位下。
凡例 安斗智徳 | |
|---|---|
| 時代 | 飛鳥時代 |
| 生誕 | 不明 |
| 死没 | 不明 |
| 別名 | 氏:阿刀 |
| 官位 | 従五位下 |
| 主君 | 天武天皇 |
| 氏族 | 安斗連→宿禰 |
経歴
天武天皇元年(672年)6月24日、壬申の乱が勃発し[2]、吉野宮に隠棲していた大海人皇子は、近江の朝廷に対する戦いを決意し、兵を集めさせた東国に向かって出発した。このとき従う者は妻子と舎人二十数人、女官十数人であった。智徳はその舎人の中にいたが、その後の乱の中で果たした役割については記録がない。
天武天皇13年(684年)八色の姓の制定に伴い、阿刀連など50氏が宿禰の姓を与えられた。元明朝の和銅元年(708年)従五位下に叙爵している。
安斗智徳日記
壬申の乱後、『安斗智徳日記』を書き、そのごく一部が『釈日本紀』に引用された。ここでいう日記は今でいう回想録にあたると考えられている。智徳ら乱への参加者が書いた記録が、『日本書紀』で壬申の乱について執筆する際の材料になったと考える歴史学者が多い。
脚注
- 阿刀連の出自は安都雄足の項を参照。
- 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 42頁。
参考文献
- 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年
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