安然 (明)
生涯
祥符から潁州に移住した。元末に左丞として萊州を守った。至正27年(1367年)12月[1]、徐達・常遇春の軍が山東に進攻すると、安然は人々を率いて帰順した。洪武元年(1368年)12月、山東参政となった[2]。
洪武2年(1369年)、南京に召還されて工部尚書となった。洪武5年(1372年)、河南参政として出向。洪武8年(1375年)、黄河が開封の太黄寺堤で決壊すると、安然は民夫3万人を徴発してこれを塞いだ[3]。
洪武9年(1376年)、浙江布政使として赴任。洪武12年(1379年)9月、入朝して御史台右大夫となった[4]。洪武13年(1380年)1月、御史台左中丞に転じたが、同年5月に事件に連座して免官。
洪武14年(1381年)1月、南京に召還されて四輔官となり[5]、8月に死去。享年は58。
参考文献
- 『明史』巻137 列伝第25
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