寺澤敏行

寺澤 敏行(てらざわ としゆき、1971年12月1日 - )は、NHKの元アナウンサー、ラジオプロデューサー

てらざわ としゆき
寺澤 敏行
プロフィール
愛称 きれジャイ・きれいなジャイアン
出身地 日本の旗 日本 愛知県名古屋市
生年月日 (1971-12-01) 1971年12月1日(52歳)
最終学歴 明治大学卒業
勤務局 NHKラジオセンター
部署 ディレクター
職歴 富山(1995年6月 - 2000年7月)→名古屋(2000年8月 - 2005年3月)→東京アナウンス室→報道局国際部記者→アジア総局記者(バンコク)→東京アナウンス室(2005年3月 - 2017年3月)→大分(2017年3月 - 2021年7月)→ラジオセンター(ディレクター)(2021年7月 - )
活動期間 1995年 - 2007年7月
2013年8月 - 2021年6月
ジャンル 地域
公式サイト NHK
出演番組・活動
出演中 本文参照
出演経歴 本文参照
備考
2007年8月から2013年6月まで記者。血液型はAB型

人物

名古屋市立菊里高等学校[1]を経て明治大学卒業後、1995年にNHK入局。ニックネームは「きれジャイ」(『ドラえもん』の「きれいなジャイアン」を略したもの)。

嗜好・挿話

  • 新人時代は芸能・司会の仕事が多かったため、「ゆくゆくは紅白の司会やりたい」と思っていたが、その後報道の仕事が増え、ニュースキャスターがメインとなる[2]。取材好きで時間を見つけてはスタジオを飛び出していたという。早朝のニュースキャスターをしていた頃は、出社が深夜1時だったため、取材が長引くと寝る時間がないほど多忙であった[2]
  • 2007年8月より、東京勤務の時に自ら志願して国際部に異動。東南アジア特派員として国際部記者となる。タイバンコク勤務を希望し、その後念願叶って2010年8月バンコク特派員になる。タイには3年滞在した[2]
  • 2008年11月にムンバイ同時多発テロが発生したとき、寺澤は24日から26日まで行われていた第19回インド原子力学会年次総会を取材するため、各国メディアの一員として会場となっていたムンバイに滞在。このためテロ発生後、27日放送の『NHKニュースおはよう日本』での電話リポートを皮切りに、危険な状況の中で急遽活動をその取材に切り替え、緊迫する現地の状況を報告し続けた[3]。アジア総局時代はアウンサンスーチー解放の速報などを現地より伝えたほか、2011年秋にはタイを襲った大洪水の状況を伝え続けた。
  • 2013年7月に帰国し、6年ぶりにアナウンス職に復帰した。ジョギングコースは多摩川河川敷[4]
  • NHK大分在籍中は大分のスタッフブログを更新し続け、800回更新した。大分で市民農園を借りていた[5]。2021年7月付でアナウンス職を再度離れ、ラジオセンターでプロデューサーを務めることになった。

現在の担当番組

過去の担当番組

富山放送局時代(1995年度 - 2000年7月)
  • 富山県のニュース・気象情報
名古屋放送局時代(2000年8月 - 2004年度)
東京アナウンス室時代(1度目)(2005年度 - 2007年7月)
報道局国際部時代(2007年8月 - 2013年6月)
  • 国際部記者
東京アナウンス室時代(2度目)(2013年7月 - 2016年度)
大分放送局時代(2017年度 - 2021年6月)

モットー

「声は人なり、言葉は心なり」[3]

脚注

  1. 出典不明 NHKアナウンサー柘植恵水TBSテレビプロデューサー今井夏木は高校時代の同級生。
  2. 自分流泰的生活web477号・寺澤敏行”. web(ウェブ)ナムジャイ・Communication Service & Support (Thailand) Co.,Ltd.. 2014年3月4日閲覧。
  3. NHKアナウンスルーム”. NHK. 2014年3月4日閲覧。
  4. NHKアナウンスルーム”. NHK. 2014年3月4日閲覧。
  5. 公式ホームページ
  6. ありがとうございました!”. てらブロ. 日本放送協会. 2021年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月2日閲覧。

外部リンク

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