寿性院
墓所
庶民の出身であることから、山内家歴代墓所のある筆山ではなく、遠慮して筆山の見える鏡川の対岸の山に埋葬された [1]。のちこれに因んで、この山が「三ノ丸」と呼ばれている。現在の住所表記は、高知県高知市三ノ丸。寿性院の墓の隣りには、坂本龍馬の先祖の才谷屋の歴代墓所がある[1]。
娘
一人娘の佐与姫は、土佐藩家老・山内将監(乾信勝)に嫁ぐ[4]。将監の屋敷は、高知城の南側でのちに深尾家の屋敷となった現在の「ひろめ市場」の場所である[5]。佐与姫の墓は、高知県南国市の永源寺にあり、巨大な墓石であることから南国市の史蹟に指定されている[6] [3]。
子孫
補註
- “『寿性院 山内忠義の側室』”. 南国土佐へ来てみいや. (2010年4月24日) 2019年11月15日閲覧。
- 一部のインターネットサイトでは、寿性院の父の名を「園池宗朝」と記すものがあるが、これは、山内忠義の後妻(正室)である青岸院との混同で間違い。園池宗朝(1611-1661)は、江戸前期の公卿で、園池家の祖。櫛笥隆致の次男。権中納言・参議・治部卿、従二位。であり庶民ではない。東山天皇の妻の祖父が園池宗朝にあたり、現皇室もこの子孫にあたる。
- “『板垣精神 : 明治維新百五十年・板垣退助先生薨去百回忌記念』”. 一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 (2019年2月11日). 2019年8月30日閲覧。
- 『土佐藩家老物語』松岡司、高知新聞社、2001年
- 『土佐藩ゆかりの会会報』(平成30年号)、2018年
- 『卵塔物語』乾常美編(所収『南国史談』第22号)
- 居合道無双直伝英信流第15世宗家・谷村亀之丞自雄
参考文献
- 『南路志』武藤到和・武藤平道 共編、1815年(文化12年)
- 『御侍中先祖書系圖牒』高知県立図書館寄託文書
- 『卵塔物語』乾常美編(所収『南国史談』第22号)
- 『土佐藩家老物語』松岡司、高知新聞社、2001年
- 『土佐藩ゆかりの会会報』(平成30年号)、2018年
- 『板垣精神』一般社団法人板垣退助先生顕彰会、2019年
外部リンク
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