小倉裏線
小倉裏線(こくらうらせん)は、かつて福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)の富野信号所(現・東小倉駅付近)と南篠崎聯絡所、足立駅と板櫃聯絡所の間を結んでいた鉄道路線である。小倉南線とも呼ばれている。
| 基本情報 | |||
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| 国 |
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| 所在地 | 福岡県小倉市 | ||
| 起点 | 富野信号所(現・東小倉駅付近) | ||
| 終点 | 板櫃聯絡所 | ||
| 駅数 | 2駅、5信号所 | ||
| 開業 | 1903年 | ||
| 廃止 | 1916年6月21日 | ||
| 所有者 | 鉄道院 | ||
| 運営者 | 鉄道院 | ||
| 路線諸元 | |||
| 路線距離 |
4.9 km(富野信号所-板櫃聯絡所間) 1.3 km(足立-南篠崎聯絡所間) | ||
| 軌間 | 1,067 mm | ||
| 電化方式 | 非電化 | ||
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| 停車場・施設・接続路線(廃止当時) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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凡例
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歴史
九州鉄道本線(現・鹿児島本線)の一部として開業した。九州鉄道は当初本線を戸畑経由とする予定であったが、海岸部に鉄道路線を敷設することについては、陸軍が艦砲射撃による線路破壊を危惧して反対したため、小倉市街地の南側に路線変更するよう求められていた。そのため、海岸部の路線を戸畑線(小倉 - 戸畑 - 黒崎間)という支線として敷設を認めることを条件に、陸軍の要求に沿って小倉裏線が敷設されることとなった。
駅一覧
富野信号所 - (名称不明)仮乗降場 - 足立軍用停車場 - 南篠崎聯絡所
足立軍用停車場 - 紫川聯絡所 - 北篠崎聯絡所 - 板櫃聯絡所
- 当時は信号場を信号所または聯絡所と呼称
- 紫川聯絡所 - 北篠崎聯絡所間0.7kmは豊州本線(現・日豊本線)と共用
- 北篠崎聯絡所は現在の南小倉駅付近に所在
接続路線
路線名は小倉裏線廃止時点のもの
廃止後の状況
国土地理院に保管されている旧版地図によれば、廃止後、昭和初期までは大蔵線と共に道路になっているが、富野側から小倉の市街地に飲み込まれてしまい、富野 - 足立 - 紫川・南篠崎の大半は消失した。
足立駅の跡地は広大であり、国道3号に沿って北九州市立足立中学校付近から三萩野交差点付近まであったとされている。一部は鉄道官舎、用品庫等が建設されて活用されたが、国鉄分割民営化に際し国鉄関係の施設は移転・撤去されて更地となり、国鉄清算事業団の保有資産となった。数年間は住宅展示場などに賃貸されていたが、その後鉄道・運輸機構から売却され[5]、ポレスターマンションやニトリが建設されている。
脚注
- 「鉄道院告示第五十四号」『官報』1909年10月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 「鉄道院告示第六十九号」『官報』1911年9月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 「鉄道院告示第二十四号」『官報』1916年6月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 小倉と日露戦争-日露戦争と足立駅北九州市公式サイト
- 資料4 1.資産の概要 2)土地 三萩野①鉄道・運輸機構
関連項目
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