小出英邨
来歴
第4代領主・小出英都の二男。兄・梶之助の夭逝後に生まれた為、「政太郎」と名付けられ、事実上の長男として育てられる[2]。名はその後、弾正、小弥太と改めた[1]。諱は英邨[1]。
1767年10月26日(明和4年閏9月4日)、17歳の時、亡父・英都の遺跡を継ぎ小普請となる[3]。
1768年1月28日(明和4年12月9日)、初めて将軍・徳川家治に拝謁し、1768年4月21日(明和5年3月5日)、御書院番に列す[1]。
1772年10月18日(安永元年9月22日)、同番を辞すも、1780年6月13日(安永9年5月11日)、江戸城西之丸の御書院番に復し、1790年5月15日(寛政2年4月2日)、本丸の勤めとなる。
1797年1月7日(寛政8年12月10日)、若君(徳川家慶)に附属されて、西之丸に伺候する[1]。
1809年(文化6年)死去[3]。享年59歳。法名は養徳院殿[2]。墓は麻布の天真寺[4]。遺跡を三男の英為(才三郎)が継いだ。
系図
領地
陣屋
補註
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』堀田正敦編
- 『養父町史』
- 『大島貞薫傳』
- 『但馬の殿様』吉盛智輝著、神戸新聞総合出版センター、2010年
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