小島清 (歌人)

小島 清(こじま きよし、1905年5月21日 - 1979年4月20日)は、昭和時代日本歌人。ポトナム短歌会に属した。

小島こじま きよし
誕生 (1905-05-21) 1905年5月21日
日本の旗 日本 東京府東京市京橋区(現:東京都中央区
死没 (1979-04-20) 1979年4月20日(73歳没)
職業 歌人
言語 日本語
最終学歴 國學院大學専門部 中退
活動期間 昭和時代
代表作 『竜墟集』(1934年)
『青冥集』(1971年)
『対篁居』(1980年)
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来歴

1905年(明治38年)、東京市京橋区舟松町(現:東京都中央区3丁目)で小島清吉・まさ夫妻の長男として出生[1]。清吉は愛知県碧海郡野田村(現:刈谷市野田町)出身で、清が10歳の時に神戸英国総領事館勤務となり家族全員で転居した[1]

1923年大正12年)に神港商業学校を卒業、國學院大學専門部へ進学したが関東大震災のため中退。神戸へ戻り、独学で国文学を学ぶようになる。1926年(大正15年)、ポトナム短歌会へ入会[1]

1933年(昭和8年)、富田砕花らと歌誌『六甲』の創刊に参加。拠点としていた『ポトナム』は戦時に当局からの命令で廃刊となり『アララギ』へ統合される[2]1945年(昭和20年)6月、神戸大空襲に遭い自宅を全焼し奈良県北葛城郡高田町(現:大和高田市)へ疎開[3]終戦後は兵庫県粘土瓦株式会社に勤務していたが、1946年(昭和21)年3月に神戸新聞社が主催した「戦災者奮起の歌」で応募作が一等入選となる[2]。『ポトナム』復刊後は京都市左京区へ転居し、日本歌人クラブ委員などを務めた。

1979年(昭和54年)4月20日、肝硬変のため逝去[4]。享年75(満73歳没)。

作品

  • ポトナム叢書第20編『竜墟集』(ポトナム社、1934年) NCID BA55690739
  • ポトナム叢書第60編『青冥集』(初音書房、1971年) NCID BN13186665
  • ポトナム叢書第180編『対篁居』(小島清歌集刊行委員会、1980年)NCID BN10123308

作詞

参考文献

  • 『ポトナム』1979年10月号「特集・小島清追悼」
年譜(醍醐志万子 編), pp131-138
荻原欣子「小島清──含羞のロマンチスト」 pp105-124

出典

  1. 年譜, p131
  2. 年譜, p133
  3. 荻原(2008), p107
  4. 年譜, p138
  5. 神戸新聞、1946年2月11日付3面“共に歌はん「建設の譜」 戦災者奮起の歌”

関連項目

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