小川元政
生涯
始め増田長盛に仕えるが、関ヶ原の戦いで増田家が改易されると浪人となった。
その直後の慶長6年(1601年)に藤堂高虎に召し出され300石を与えられた。
大坂の陣に従軍し武功を挙げ、加増され900石となった。この際弟・次郎兵衛は豊臣方として参戦し、敵対していた。また旧主・長盛は豊臣家内通の疑い[1]で切腹を命じられた。
戦後、弟・次郎兵衛が主君・高虎によって200石で召し出されている。
その後、更に100石を加増され1千石となる。
脚注
- 息子の増田盛次は冬の陣では徳川方だったが、夏の陣で豊臣方に参戦し、討ち死。
参考資料
「藤堂高虎家臣辞典」
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