小田坂峠
概要
峠は標高110メートルほど。北河内側から登る際には、小田坂りといい、田井側からはソロバン坂とも言われる。この峠は北河内田井から北河内札場へと抜ける、かつての土佐街道の本線で、阿波藩藩主である蜂須賀氏も通ったと伝わる。かつて道幅は6尺(1.8メートル)ほどあったが、昭和期には、3尺(90センチメートル) ほどになっており、現在は通行困難となっている[1]。
一本松
峠には一本松の名で知られる、幹の直径約75センチメートル、高さ15メートルほどの枝が多い名木があった。北河内側からも田井側からも双方からよく見えたが、現在は見られない。峠の頂上付近にはスギの木も植えて目標としている[1]。
花折地蔵
峠から200メートル手前には、花折地蔵と呼ばれる石地蔵を祀っていた。この石地蔵はコンクリートの板石で囲んだ中にあり、舟型搭で高さ33センチメートル、幅15センチメートルで正面に地蔵尊の立像が浮彫され、その両側に「明治十五年十月吉日、花折地蔵[2]」の文字があったと伝わる。現在はコンクリートの板石は見えるが、地蔵は存在していない。花折地蔵の名は明治12年の調査書にもあるように昔からあったが、古い地蔵が傷んだために、新しい石像をその当時造ったとみられる。
北河内から田井へ磯釣りに行く人はこの地蔵に花を供え、「魚がよく釣れますように」と祈願して行く習慣があった。また、歯痛にもよく効くと言い伝えられていた。お礼にはぼた餅を供えた。
脚注
- 『赤河内村郷土誌』徳島県日和佐町公民館、1959年1月10日。
- 大漁祈願の地蔵。
参考文献
- 赤河内村郷土誌編集委員会編 『赤河内村郷土誌』 1959年(昭和34年)、p130-131
関連項目
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