小田王
経歴
聖武朝の天平6年(734年)无位から従五位下に直叙され、天平10年(738年)大蔵大輔に任ぜられる。木工頭在職中の天平16年(744年)恭仁京から難波京への遷都が行われると、知太政官事・鈴鹿王らとともに恭仁宮留守司を務めた。
天平18年(746年)正月に左大臣・橘諸兄や大納言・藤原豊成などの諸王諸臣たちが元正上皇の御在所(中宮の西院)に参入して雪かきをし、それから酒宴が行われる。その際に上皇の命により、雪を題材として諸臣が応詔歌を詠んでいるが、小田王の応詔歌は記録から漏れてしまい、ほかの王卿大夫の中にその名が見えるだけで、内容は伝わっていない[2]。同年、従五位上・因幡守に叙任され、地方官に転じる。
天平勝宝元年(749年)孝謙天皇が即位し大嘗祭が行われたが、因幡国が由機国とされたことから国司に叙位が行われ、小田王は正五位下次いで正五位上に昇叙されている。
官歴
『続日本紀』による。
脚注
- 『養老令』「選叙令」35条「蔭皇親条」
- 『万葉集』巻第十七、3926番左注
参考文献
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