尚志魯
生涯
尚金福王の長男として生まれる。1453年、琉球国王の父が死去すると志魯は有力な王位継承候補者だった。しかしまだ20代ほどの若さであったため、叔父の布里が反発した。その結果、志魯・布里の乱が勃発する[1]。この戦いで志魯は戦死し、布里も首里を追われた[1]。王位は布里の弟で尚巴志の七男の尚泰久王(志魯の叔父)が継承した[1]。
脚注
- “志魯・布里の乱 (しろ・ふりのらん)”. 琉球新報デジタル. 2021年8月24日閲覧。
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