尾関雅次郎
経歴
大和国高取に高取藩士尾関文左衛門(雅幸)の2男として生まれる。兄に尾関弥四郎がいる[1]。
文久3年(1863年)頃に新選組の前身である壬生浪士組に入隊[1]。旗役として行軍の先頭を任された[1]。八月十八日の政変に参加。池田屋事件には参加しなかった。近藤勇に反発した永倉新八、原田左之助、斎藤一、島田魁、葛山武八郎とともに建白書を提出している。鳥羽・伏見の戦いで敗れ、江戸へ帰還し、土方歳三、島田魁、相馬主計らとともに行動。会津戦争では歩兵指図役、箱館戦争では第二分隊指図役を務めた[1]。戦後、高取藩預かりとなり、1870年(明治3年)に赦免された後は尾関薫と改名した[1]。
出典
- “維新前夜 ~佐幕か倒幕か~”. 奈良県立図書館. 2022年11月25日閲覧。
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