山川朝信
略歴
天正18年(1590年)の小田原征伐後、豊臣秀吉に2万石の所領を安堵される。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に付き、結城秀康に従い上杉氏に備えた。しかし、慶長6年(1601年)8月、上杉氏と内通していたことが発覚して改易となった。同年、嫡男の山川菊松(朝貞・11歳)は結城秀康に従って越前に入国した。
その後は、晴朝の養子・秀康に仕えたという。嫡男の朝貞は、越前国吉田郡花谷(現福井県福井市北西部)1万7000石の封を得て重臣に列した。
脚注
- 現足利市山川町。
参考文献
- 茨城県史: 近世編p105
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