山本裕洋
略歴
広島県出身。広島市の中学校から柔道を始め、広島県立広島商業高等学校に進学して山肩敏美と出会い、崇徳高等学校に転校し学校と道場での練習を積み、3年のとき主将として全国大会初出場を果たした。
明治大学に進学後は曽根康治、神永昭夫の両指導者の下で厳しい指導を受け、全日本学生柔道選手権大会無差別級で2年連続優勝を果たした。
1967年 旭化成工業(現 旭化成)に入社し、当時衰退していた柔道部の監督に入社3年目で就任。「他社に無い練習を」をスローガンに早朝5時30分からのトレーニングを率先励行したことで徐々に部員の意欲が高揚し、会社の理解もあって、好成績が続き社内外で認められるようになり、各地から名選手が入社するようになって現在の強い柔道部が出来上がった。 1969年から1982年まで旭化成柔道部監督、1982年から1995年まで旭化成柔道部部長を務めた。
20歳代から柔道審判員となり、金鷲旗高校柔道大会、国民体育大会、全日本柔道選手権大会、全日本選抜柔道体重別選手権大会等を始めとする大会で審判を務め、西日本実業柔道団体大会では1992年から審判長を務めている。
実績
競技者時代
脚注
- 連盟概要 - 全日本実業柔道連盟
- 連盟概要 - 西日本実業柔道連盟
- マルちゃん杯少年柔道大会 東洋水産スポーツ支援活動
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